bonの暮らし

メンヘラの備忘録

初めてのODのはなし。

やぽ。bonだよ。

自殺も筋取りもしてないよ。なんとか生きてます。

 

九州地方の方々、とても心配です。

毎日ニュースを見ては、余震の恐怖は、こちらでは想像できないものなのだろうな…と苦しくなります。

わたしたちにできることは、限られていますが、精一杯生きて、少し落ち着いて来たら観光に行きたいと思っています。温泉に入れたらいいなあ。

一緒に生きましょう。

 

さて、先日のODの話の細かい話をしましょう。

不登校から脱却しようと、がんばって無理に生きていたとき、耐えられなくなり、ODをしました。しかし、結局母帰宅。

 

入院したのは総合病院。

通院していたのは個人病院。個人病院には見放されました。「もう、うちでは見られない。その薬はそういうことにならない(自殺しない)安全な薬だから。」と。(この病院が今でも「良い病院」という評価がされていることも腹立たしくなることが起きます。)

 

結局、総合病院に車で向かいました。

膝がずっとガクガクと震えていました。わたしはおかしくて笑っていましたが、隣に乗っていた弟はものすごく心配そうな顔をしていました。(もうしわけない…)

 

「とりあえず体温測ろっかー。」

そこからレントゲン室まで運ばれた記憶までしかありません。

気が付いたら点滴を刺され(痛みがなかった)、ナースステーションの隣に寝てました。

「お薬が胃にないから、腸のお薬を出すために炭入れるからねー」

どうやら、後遺症が出る可能性があったらしい。鼻から胃まで、すごい太いチューブ入れられて、そっから活性炭入れられました。

 

学校の先生たちも来たりとかして。

ODを考えている人たちへ、これだけは言っとく。

生きてると、クッソ、恥ずかしいからね。(鼻からチューブは本当に)

 

まあそれは置いておいて。

入院中、ここでも父のとんでもない言葉が出ます。

「だからお前に1リットルの涙は見せたくなかった。」

と。

※「1リットルの涙」・・・沢尻エリカさん主演で、フジテレビでドラマ化された物語です。

(そういえば、最終回を見て泣いていたのをすごくバカにされた記憶がある・・・)

 

 

娘を"かまってちゃん"にしたくなかったのでしょう。

しかし、まだ13、14の小娘です。そんなことをしても、まだ許されるでしょう。

というか、中二病とかいうけど、中二がそういうことをしていても許されるってことよ。恥かくことは、若いほうが絶対いいって。「あー、若気の至りねー。」で終わるんだから。

(親や教師の前ではいい子のフリをしていたけど、体育館の裏で花火したり、コン〇ームに水入れて割ったり、授業抜けだしたり…結構そういうことしてたw)

 

きっと父は世間体を気にしていたんでしょうね。

腹立たしい・・・。

 

そこからもっとつらい不登校期間が待っているわけですが、とりあえずこの辺で入院は終わらせましょう。

 

さて、本題はここからです。

ODした際に、当時処方されていた薬を全部飲みました。

睡眠導入剤の名前は覚えていませんが、あと一つ飲んだ薬は覚えています。

 

ルボックスです。

 

SSRIの一つで、3年前に添付文書が改定されました。

抗うつ剤の投与により、24歳以下の患者で、自殺念慮・自殺企図のリスクが増加するとの報告があるため、本剤の投与にあたっては、リスクとベネフィットを考慮すること。」

 

どういうことか、わかりますか?

 

環境のせいもあるでしょう。

生まれ持った性質もあるでしょう。

 

しかし、もしかしたら、薬が一因だったかもしれないのです。

それは治験に関係しているようで、25歳以上の健康な人しか治験データがないんです。それで、海外の国でSSRIの調査をきちんとした結果、文書が追加されたんです。

 

良くも悪くも、薬は脳に影響を与えるわけで。

それが市販の風邪薬ではなく、精神科や心療内科で出される薬。そして、患者が思春期真っ只中

リスクとベネフィットを考慮って、「当たり前」であるべきじゃないのか・・・?

つまり、それまではポンポン出されていたってこと。こんなに怖いことないですよ・・・。(今もそうかもしれないけど)

 

さて、ネットの情報を鵜呑みにした自論を展開しましたが、

結局は、子どもをきちんと見ているのか。愛してくれているのか。に尽きると思います。

アテクシは、一生の反抗期真っ只中で、相変わらず祖母と弟としか話をしないし、両親になんて顔を合わせていません。最近、夜中にご飯食ってると、父がブチ切れる雰囲気というか、イヤな予感がするので、その前に家を出たいと思います。

 

ではまたー

 

ふたつのじぶん

引きニートから日雇いバイトへ転身したbonです。

咳が止まりません。風邪か?

 

さて、今回はこれまで以上に実のない話をします。

 

一日休んだだけで、「あぁ、死んでしまえばよかったなぁ」という気持ちが沸いてきました。

 

別に、将来のことがどーのこーのっていうわけじゃなくってね。

(離人感がハンパないのに、つまり現実もまともに考えられないのに、将来とか未来とか考えられるわけがありません)

 

立ち止まって、死にたいという気持ちがAだとして、

後ろから見ているのがBだとしたら。

 

BはAに糸をぐるっと巻いて、後ろから引っ張っている、みたいな感じです。

 

Aは、死に向かっている。Bはそれを止める。

 

最近、ある映像が浮かんできます。

自分の左腕をパックリとカミソリで切っているんです。

深さで例えると、2,3cmくらいで、長さは15cmくらいの傷。

血は驚くほど出ていなくて、ただただ傷があります。(ささみの筋取りするときに切る感じ)

 

きっと、本来の自分はAなんだけど、まともにそれ受けちゃったら、死ぬから。

Bが必死に、生きろ、と引っ張るんだけども、だめだね、どうも、BもAにつられてきてる。

 

あのとき、粉々になって死んでしまえばよかった。

真実を知っているのは、ゼミの先生だけ。

 

粉々になった遺体って、どう処理するんだろう。

単純に疑問だなあ。

 

今、試しに爪で皮膚を引っ張ってみたけど、全然痛くない。

 

あれ、やっぱりこのままだと、ささみの筋取りしちゃいそうだわ・・・。

 

自分がこわい。

 

人って無意識に自殺するんだー。

どうも、bonです。

さて、昨夜はゼミの飲み会だったわけですが、こんな時期なので、ちゃんと働く人が集まるわけもなく・・・ただただフリーターが集まりましたね(笑)。先生はママンみたいな人なので、最初はみんな質問攻めされましたが、そうなるには理由があるわけで・・・。結果的に納得しておられましたゾ。(たぶん)

 

ひきニートが(飲み会のために)「駅まで送って行って」とわがまま呟いたところ、母にあることないことガンガン責められました。(ここに言葉も残したくない程。)もう何も言わない。もう本当に苦痛でしかない。頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走りました。ソッコーでたばこをふかし、大音量で音楽かけて駅まで向かいました。何とか落ち着きました。

 

先生とゼミ仲間に、帰り際に言われました。

「飲みの席に来たとき、別人みたいだった(たぶん雰囲気的なことだと思う)。」

「なんか顔変わったよね。すっきりした。」

※痩せてません

 

わたしは帰宅中思ったのです。

「あ、毒が抜けていくってこういうことなのか」と。

 

毒親の呪縛からちょっとずつでも抜けていく過程において、その様子を他人が見ると何かが変わっているのね。

おもしろい発見でしたわ。

 

さあ、本題です。

相変わらず離人感はあるわけです。離人感のある人間が、行動を起こせるようになると、恐いことは薄々勘づいてはいたのですが、まさか飲み会のあとにそれが訪れるなんて思ってもいませんでした。

 

駅から駐車場まで歩いたんですけど、先生が頑なにそれを止めたんですね。(飲酒運転はしていないよ。車中泊だよ。)

初めは、夜道を女の子が歩くと危ない、みたいな感じだったんですけど、それだけなら「まあ、なんかあったら連絡して」で終わると思うんです。でも、電車降りるまでずっと言われて。別に怖くなかったので、「大丈夫です」って連呼してたの。たぶん、先生は、本能的にイヤな予感がしたんだと思う。※長年カウンセラーとして働いています

 

電車降りて、歩いてる途中で、車がわたしのところで停まって、「○○って向こうですか?」とか聞いてくるお兄さんがいて、「あ、そうですー」って答えたら、「そうっすよね!すみません、ありがとうございます!」って車走らせたよ。大丈夫だったよ。

 

問題はここからです。

 

途中で踏切が一つあるんですけど、ちょうど通過車もいなくて、ひとりで渡ってたんです。

そしたら、ちょっと立ち止まっちゃったんです。

左右確認してる自分がいて、電車の光が見えるのを想像しました。

(今死んでも後悔ないなー)

単純に、その考えしかありませんでした。

すぐに歩きましたけど。

 

轢かれたら、たくさんの人に迷惑をかけるとか、自分の遺体が跡形もなくなるとか、そういう考えにも至らず。

あー、自殺する人って、こうして無意識に突発的に実行してしまうんだ。

本当に、苦しんで、死ぬ直前まで悩んで、自殺を実行する人って、案外少ないのかもしれない。

ふっ・・・と死ぬんだね。きっと。

だからホームから飛び込んだ人を目撃した人って、「勢いはなかった。ふわっと向かっていった」とか言うんだわさ。

 

車の中で恐ろしかったよ。自分が。

死にそうだったんだもん。

 

まあ、離人感があるとさ、「今死んでも、後悔とか別にねーなー。」っていう状態なので、本当に恐ろしいです。

生きている実感が薄いので、いろいろなことが重く感じなくなっているんです。

自分が自分じゃないから、「ああどうぞご勝手に」状態。

 

ちょっと、本格的に恐怖・・・。

 

車中泊とかいいながら寝れなかったので、あてくしは寝ます。

おやぷーみ。

あてくしの暗黒時代。

寝れないから包丁事件書きましたけど、午後爆睡しました。どうも、bonです。

なんだか指が勝手に動いてしまうので、本日は2記事公開。フォー!

 

 

 

幼いころから、俗にいう「いい子」でいようとしていました。

親に迷惑をかけないように。大人に心配されないように。

(今も、自分の中にいる「いい子」とは葛藤中であります)

 

勉強も頑張って、部活も頑張って、帰宅してからは家事も必死に手伝っていました。

焦って泣きながら勉強する日々。精神的に追い込まれて勉強しても、部活しても、あんまり成績は上がらないんですけどもね・・・。

 

当時、すごく羨ましかった人がいます。その人は、わたしより勉強も部活もできる。けれど、無理をすると熱を出しやすい体質だった。

わたしは良いのか悪いのか、健康体だったので、熱が出なかった。つまり、ちゃんとした理由で、学校を休むことが出来ませんでした。

 

わたしは、自傷行為というものを知らないときから、自傷し始めます。(人間てすごいね)

一番最初の自傷は、小学5年の時でした。

自分の部屋で、図工で余った釘を血管に刺そうとしていました。カッターで手の甲を切りました。バレました。怒られました。

 

中学に入ると、自傷に対しての知識もついてきます。

リストカットを始めました。

冬服のときだったので、自傷を知っている人は数人でした。

大人は気づきませんでした。

えぇ。

だって、「いい子」ですから。

 

春が近づくにつれ、気持ちは追い込まれていきます。

(半袖になったら、いつかは自傷がバレてしまう)

(死んでしまいたい)

と。

 

毎晩、カッターを首に当てていました。

だけどね、切れないんだよ。

首の皮膚って繊細だし、100均のカッターなんて切れ味悪いから、痛いんだよね。

首の傷はいやでも見えるし、何かで隠したところで「首どうしたの」って、聞かれること間違いなし。

だから、どうしても、失敗したくなかった。

 

(今日も死ねなかった。いくじなし。)

 

そして、ずっと続く頭痛を緩和するために、電子ピアノに頭を打ち付ける。

ガンッ。

ガンッ。

「死ねなかった。」と、泣きながら。

 

 

友人が先生に告白したのと同時に、わたしも告白しました。

 

でも、明るい未来なんて見えなかった。

 

いろんなものを背負いすぎて、息苦しいのが伝わってくる担任の先生。

役に立たず、終いには勉強不足なので勉強してきますと言って、逃げたスクールカウンセラー

病院をたらい回しにされる日々。

無理やり学校を休まされて、これまでの無遅刻無欠席が崩壊。

当然、勉強もできず、部活にも行けず、手伝いも積極的にしなくなりました。

 

もう、頭の中に残るのはひとつ。

 

あたしの生きてる意味って何。

 

家に誰もいなくなった時間に、持っている薬を全部飲みました。

これで眠りに入ったら、あたし死ねるんだ。

そっと毛布にくるまりました。

もう、目を覚ましませんように。

 

 

 

 

声が聞こえてくる。

絶望した。

死ねなかったんだ。

帰宅した母に全部白状。

病院に行く車内で、膝がずっとガクガクしてて、わたしは笑っていました。

「止まらないんだけどwww」

気がついたら体温測られて、点滴刺されて。レントゲン撮られて。

入院です。

 

 

 

今、生きているからこうやって好き勝手にブログを書いているわけですけども。

不登校からの復活劇はまた今度。

 

 

もう終わりだ。包丁持ってこい。

昨夜は、友人と夕飯を食べに行きました。藍屋で鯛フェアみたいなのやってたので。

久々に他人が作ったご飯を食べて、精神的に満腹になりました。(夢庵よりちょっとだけリッチだしね)

やっぱりねぇ、自分が食べたいって思って作っても美味しくないんですよ。最近、何にも美味しくないんです。だから、液体を過剰に作って無理やり入れて無理やり出すという行動に出るわけですね。おバカなんです。(この件は気が向いたら書きますね)

 

あー…自分が情けない。

この年齢で、父親に怯えている。中学時代に引きこもってた時もそうだった。…父親の足音、家に響く低い声。

実は、昨日の昼から寝ていない(寝れない)ので、過去の忘れたい記憶がぐるぐるしてるんです。

勝手ながら、書かせていただきます。

※虐待の経験がある方や、心理的につらいものを背負っている方はここから先は見ないようにしてください。ここからは自己責任でお願いします。何らかの被害や症状が出ても、筆者は責任を負いません。

 

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知らないうちに、離人症。

現在、弟が彼女を連れてきて、部屋から出られないので、暇つぶしに書いてみる。
あ、弟が誕生日だった。おめでとう。

わたしは、就活せず、かといってバイトもせず、卒論も先生にケツ叩かれてやっと書いた感じのクソ以下のメス豚ニートです。
中退したい、早く大学をやめたい。
そんなことしか考えていなかったわけだから、卒業なんて嬉しくもなんともなかった。
未だに「おめでとう」と言われるけど、こみ上げる嬉しさ?ちっともないね!
ただ、こんなわたしを卒業させようとしてくれた先生方と別れるのは悲しかったかな。


最近、とてつもない離人感に苛まれている。
これは、感じたことのない人は本当にわからない感覚なのだろう・・・、
例えば、人混みのなかに入ることがあると、帰宅したときに「なんかふわふわするな…」っていう感じを持ったことありませんか?
わたしは中学時代に初めてそれを体験しました。
次の日、学校休みました。さいてー。
普通は、休んだら治ってることが多いんですけども、最近、そのふわふわがずーっと続いているんです。


大学をやめたい。と本気で思っていた頃、ある先生に資料を返しに行きました。
その先生は、わたしを見てすぐに、「ここに座りなさい。」と言って、温かいお茶を出してくれました。
そして、泣き始めてしまって話せないわたしを見て、「あなたはね、雁字搦めにされてるように見える。」と言いました。

一説によると、離人症の人は、強烈なストレスを感じているから、自分を守るためにそうなるらしい。

泣き出した当時のわたしは、学費のこととか、家族のこととか、自分の摂食障害自傷のこととか、いろんなことで悩んでいました。

・・・でも、今は?

そう、特になにもないはずなのに、離人感がずーっと続いている。


わたしは、何かをするときに、自分を追い詰めて、焦る性格だったんです。
「どうしよう間に合わない」「どうしようできない」
焦って、作業に手がつかない。勉強しても、焦って詰め込むことしかできないから、成績は上がらない。
そういう性格でした。昔っから。

でも、卒論を書いているときは、不思議なほどそれがなく、何も考えずただただ打ち込んだり、分析かけたりしていました。
気が付いたら、きちんと初稿を提出していました。
自分でも謎です。
思えば、卒論を執筆している時は、もう離人症になっていたのかもしれない。

自分が自分でない感覚。
だから、傍から見ている感じでした。
今も、です。


実は、最近原因がわかってきました。

たぶん、わたしは実家にいるからこうなっているのではないか。と。
(この件はまた今度。)

ベースは実家の親子関係のストレスだろうな、と。
自分で書いてる日記の内容も、最近はそんな感じばっかりです。
なので、少し耐えて、お金貯めて、なるべく早く家を出ます。

つらいのは、喜怒哀楽の波がないこと。
チッ。と思ったりもするけど、すぐにその感覚を忘れてしまう。
友達が悩んでいて、心理的に接近して、結果的にいい方向に進んで、いろんな人に「ありがとう」「あの子の命を救ったんだよ」とか言われても、…それで何?くらいにしか思わない。
だから、ハロワに行ったり、バイトの電話したりするのも、自分じゃない気がしてます。

今までの自分と、今の自分、
そしてそれを傍から見ている自分、
わたしは、一体何者なのだろう。