泣き出したインナーチャイルド
死にながら、生きていました。
どうも。bonです。絶賛腹痛中です。
先日は、イベント関連の仕事をしていました。
一日中、ヒールで立ちっぱなし。
足が痛くて、痛くて、たまりませんでした。
で、帰りに、駐車場まで歩いている間に、涙がとまりませんでした。
痛すぎて泣いたわけではありません。
ゴールデンウィーク前から、ずっと海に行きたくて。
その気持ちをどうにか押し殺していたら、品川で女子中学生二人が、手をつないで電車に飛び込んで。
彼女たちに歌を書いて。
この時点で気づくべきでした。
インナーチャイルドが泣きわめいていることを。
駐車場の車のなかで、大泣きしました。
おかあさん、おかあさん、
何度も、何度も、叫び泣きました。
おかあさんに、今、電話できたら、どれだけ楽になるだろう。
そんなことを考えていました。でも、現実的には、それはできない。
友達に電話をしたら、バイト先の近くにいることが判明しました。よかったら、泊まっていきなよ。落ち着いたら帰りなよ。と言われました。
でも、次の日に面接があったので、泣きながら、わたしのなかの子どもを抑え込みながら、帰りました。
自分でも、バカだなあと思います。
誰にも甘えられない。わたしは一体何のために生きているのだと。
おかあさんに電話すれば?
今からでも話をしてみたら?
きっと、母と良好な関係を築いている方々はそう思うでしょう。
しかし、過去の経験から、わたしの母は、決して「甘えさせてくれる」母ではないことは明らかで、自分が傷つくことが目に見えていました。
なので、電話しなかったのです。
わたしは、保育園のころ、一人で絵本を読んでいたそうです。
母曰く「手がかからなくてよかった。この子は天才だと思った」くらい。
でも、わたしは天才でもなんでもありませんでした。
ただの、「いい子」でした。
母に負担がかからないように、必死に生きていたのだと思います。
大学時代にも、父の仕事の関係で、わたしが行政機関に出向いて動くことが何度もありました。わたしは何も悪くないのに、母は、一切わたしを助けようとしませんでした。
あとから聞けば、「あの時助けたら、あんたがダメになると思った」そうです。
信じられませんでした。
父が非正規雇用で働いているから、ダメ会社に雇われているから、こんなことになっているのに。普通に働いている人は、こんなことしなくていいのに。どうしてこんなに娘に負担をさせるのか。
しかも、あの時期は、大学院に進学しようと考えていた時期でした。バイトがなく授業も早く終わる日に、行政機関をいくつも回っていました。
母は、わたしに何を求めていたのか、今でもよくわかりません。
おかあさん、と大泣きしてから、わかったことがあります。
今のわたしは、「オトナのふりをした子どもだ」と。
小さいころから、正義感が強い子だねと言われ、頭のいい娘を強要され。
きっと親は「あんたに勉強しろなんて言ったことない」と言うでしょう。
じゃあどうして、不登校になる前の成績がいい時代にも、親はわたしを褒めなかったのでしょう。
勉強しなくてもいいよと言わなかったのでしょう。
わたしのなかの小さな子どもが、何十年も泣き続けています。
本当は、あたたかくて、わたしだけを見てくれて、何をしても許されるような、
おかあさんに会いたい。
おかあさんに抱きしめてもらいたい。
でも、そんな母は、いません。
この世界にいません。
わたしの場合、わたしが会いたい母と、わたしを生んでくれた母はイコールにならないのです。
自分のなかで優しい母親を作り上げていかないと、自由な子どもは生きることができません。
自分を守るために、必死に生きています。