あてくしの暗黒時代。
寝れないから包丁事件書きましたけど、午後爆睡しました。どうも、bonです。
なんだか指が勝手に動いてしまうので、本日は2記事公開。フォー!
幼いころから、俗にいう「いい子」でいようとしていました。
親に迷惑をかけないように。大人に心配されないように。
(今も、自分の中にいる「いい子」とは葛藤中であります)
勉強も頑張って、部活も頑張って、帰宅してからは家事も必死に手伝っていました。
焦って泣きながら勉強する日々。精神的に追い込まれて勉強しても、部活しても、あんまり成績は上がらないんですけどもね・・・。
当時、すごく羨ましかった人がいます。その人は、わたしより勉強も部活もできる。けれど、無理をすると熱を出しやすい体質だった。
わたしは良いのか悪いのか、健康体だったので、熱が出なかった。つまり、ちゃんとした理由で、学校を休むことが出来ませんでした。
わたしは、自傷行為というものを知らないときから、自傷し始めます。(人間てすごいね)
一番最初の自傷は、小学5年の時でした。
自分の部屋で、図工で余った釘を血管に刺そうとしていました。カッターで手の甲を切りました。バレました。怒られました。
中学に入ると、自傷に対しての知識もついてきます。
リストカットを始めました。
冬服のときだったので、自傷を知っている人は数人でした。
大人は気づきませんでした。
えぇ。
だって、「いい子」ですから。
春が近づくにつれ、気持ちは追い込まれていきます。
(半袖になったら、いつかは自傷がバレてしまう)
(死んでしまいたい)
と。
毎晩、カッターを首に当てていました。
だけどね、切れないんだよ。
首の皮膚って繊細だし、100均のカッターなんて切れ味悪いから、痛いんだよね。
首の傷はいやでも見えるし、何かで隠したところで「首どうしたの」って、聞かれること間違いなし。
だから、どうしても、失敗したくなかった。
(今日も死ねなかった。いくじなし。)
そして、ずっと続く頭痛を緩和するために、電子ピアノに頭を打ち付ける。
ガンッ。
ガンッ。
「死ねなかった。」と、泣きながら。
友人が先生に告白したのと同時に、わたしも告白しました。
でも、明るい未来なんて見えなかった。
いろんなものを背負いすぎて、息苦しいのが伝わってくる担任の先生。
役に立たず、終いには勉強不足なので勉強してきますと言って、逃げたスクールカウンセラー。
病院をたらい回しにされる日々。
無理やり学校を休まされて、これまでの無遅刻無欠席が崩壊。
当然、勉強もできず、部活にも行けず、手伝いも積極的にしなくなりました。
もう、頭の中に残るのはひとつ。
あたしの生きてる意味って何。
家に誰もいなくなった時間に、持っている薬を全部飲みました。
これで眠りに入ったら、あたし死ねるんだ。
そっと毛布にくるまりました。
もう、目を覚ましませんように。
声が聞こえてくる。
絶望した。
死ねなかったんだ。
帰宅した母に全部白状。
病院に行く車内で、膝がずっとガクガクしてて、わたしは笑っていました。
「止まらないんだけどwww」
気がついたら体温測られて、点滴刺されて。レントゲン撮られて。
入院です。
今、生きているからこうやって好き勝手にブログを書いているわけですけども。
不登校からの復活劇はまた今度。