bonの暮らし

メンヘラの備忘録

トラウマとは非常にこわいものであるな…

こんばんわ。bonです。

昨日は昼間出かけておりまして、そのせいか夜にちゃんと寝れました。

一時間置きに起きてしまったけれど。

 

 

で、昼夜逆転はなおったんですけどもね。

 

 

ここからが大問題ですよね、家族との接触を避けている人間は夜型のほうが絶対的にいいわけです。

家族が寝ている間にこそこそできるからね。

 

 

今日は一日、絶望しながら過ごしていました。

きっと明日も。

 

 

そして、親が帰宅した先ほどです。

父親が怒鳴ってました。

 

 

わたしは、父の声が非常にこわいんです。

よくわからないタイミングで怒鳴られるし、淡々と怒るときもあって、どこにスイッチがあるかわからないし。

親が話をしていて、その会話を聞いていないときに、母に「ねえ、お父さん怒ってない?」と聞いたことがありました。

母は笑いながら、「怒ってるわけないじゃーん。」と答えていましたが、今考えれば相当な傷だったんだなあと。

弟が変声期を終えたときには恐怖二倍ですよ。どっちが喋ってんだかわかんないんですから。

 

 

ビクビクしながら、本当につい先ほどまで毛布にくるまって、携帯も画面暗くして……。

 

 

正直、今も落ち着いていません。

 

 

もうこうなると早く家を出たい一心で、失踪マニュアル読んだりしちゃうんです。

これは今に始まったことではなく、大学時代からありました。

こんな家、もういられない……。逃げたい……。失踪したい……。

という感じになり、日記に殴り書きしたり。

 

 

わたしが海を好きな理由って、ちょっとの間でも現実逃避できるからなんでしょうね。

相当ヤラれてる……今も……。

 

 

海がある隣県に祖父のお姉さんが住んでいるんです。その方がわたしにハガキを送ってくれたことがあるんですね。

で、つい最近、ハッとしたんです。

年賀ハガキとかもらったお手紙を集めている入れ物に、ハガキがあるんじゃないか?と。

ありました。ハガキ。

そこに住所が書いてあったので、調べてみるとちゃんとおうちも実在してました。

今もそこに住んでいるのかわからないけれど。

そこに住みたいとか考えてしまうわたしはどこまでクズなのだろう……(笑)。

二月くらい甘えさせてもらって、そっちで仕事決めちゃえばこっちのもんですよ。

はあ……。

 

 

 

 

 

このブログに書いたか覚えていないけれど、夢を見たんです。

どれくらい前かな、一か月くらい前かな、

父に呼び出されて階段を下りていくと、途中で父に包丁を向けられるっていう夢。

でも何故か私も護身用にナイフもってんすよ…どっこいどっこいですよ…。

自立心が裏目に出ました。

本当に恐怖でしかない。未だに(いつか刺されんじゃねえのかなあ)って思ってます。

 

 

ここだけの話、刺してくれたほうが楽かなあ、と思ったり。

いくらぷー娘とはいえ、生きてる人間刺しちゃったら、世間の目は相当痛いですからね。

私は簡単に家を出られるだろうなあって。親戚はかくまってくれるだろうなあって。

 

 

なーんてどこまでも甘ったれてますが、月曜日、面接行ってきます。

 

 

ニートの精神

おはようございます。bonです。

 

気が付いたら、一月ほどニートしておりました。

あぁ、絶望の日々。

 

 

考え方で人生が変わることは重々承知しております。

しかし、なんだかんだでつらいよね。

昼夜逆転、減っていく貯金・・・。

こうなるのは当然ですよ。

 

 

何のために生きて、何のために死んでいくのか。

 

 

自分というものがない人間にとっては、それを考えることは苦痛以外の何物でもない。

そして、自分が好きなこととか、大事にしたいことが見つかっても、それを実行するまでの勇気がない。

成功経験がないから。

不安しかないです。

 

 

自分のやりたいことは見つかりました。

それに近い仕事の面接に行って、連絡来ず。

バイトをします。とりあえず。

それで、お金を貯めながら、県外の仕事を探して、家を出ます。まずはこれが先決。

 

 

もう、とにかく家族から離れたい。

実家にいたくない。

 

 

昨日から、謎の腰痛と腹痛です・・・。

お腹の調子が絶不調。

大丈夫かね、わたし(笑)。

 

 

やっちまった。

こんにちわ。bonです。

短期のバイトが終わりまして、次はどうしようかと悩んでおります。

 

 

さっき、とんでもないものを見てしまいました。

弟の幼少期のアルバムです。

 

置いてあるアルバムを軽々と開いてしまった わたしも悪いんですけどね。

弟の彼女が最近家にいるので、あー結婚するのかなーくらいに思っていたんですけど。

この前見たらおなかが膨らんでいた気がしたので、あー、やっぱりなー。と確信に変わりました。

アルバムを取り囲んで、まあこんなに大きくなって、みたいなことしてたんでしょう。

 

 

当然ですが、わたしもそこには写っているわけで。

まだ何も知らなかった自分がそこにはいて。

やっぱりかわいいんすよね。我ながら。(自分でいうのもなんですが、本当にお人形さんみたいで、おめめぱっちり、口は富士山、鼻筋が通っている・・・子どもなのに美人系。一体どこで路線変更しちゃったんだ・・・)

でも、父や母、祖母に抱かれている写真を見ると、こいつらは毒なんだと思う自分がいて。

わたしはおじいちゃん子だったので、祖父に抱かれている自分がとてつもなくうらやましくなりましたね。泣きそうになりました。もしかしたら、このあと泣くかも(笑)。祖父は若いころ相当暴れまわっていたみたいですが、わたしを助けてくれた唯一のひとです。

父が安定した職に就いていたころ、わたしに笑いかけている写真があって、あー、この頃に戻れたら、わたしはどれだけしあわせなのだろうかと思います。

 

 

でも、もう戻れるはずなくて。

親から離れると、「毒親じゃないんじゃ・・・?」と思い始めるんです。

ついつい話しかけそうになるんです。

それは絶対にしちゃいけない。これまで保ってきた距離が一気に近くなってしまう。

(わたしは、今年の3月に大学を卒業して、父にとてつもない爆弾を放りなげられ、母はずっと毒をわたしに染み込ませてきたので、父がきっかけで親と一切口をきいていません。)

 

 

そういうときは、ネットサーフィンに尽きます。

毒親のエピソードを吐きそうになりながら読むんです。

そのなかに必ず、同じ体験をした人がいます。それを読みながら、思い返す。

そして、恨むという強い感情を取り戻さないと、生きていけない。

 

 

弟は、わたしに比べたら、心理的に楽に生きています。

でも、子どもを産んで育てるのは、簡単じゃない。

 

 

そんなに世界は簡単に回っていない。

 

 

 

 

先日までしていたバイト先の社長の奥様が、わたしの親と同じくらいの年齢で。

社長さんは、一度離婚をした経験があるからか、人の気持ちに敏感で、やさしい。(時々自分自身の気持ちに気づかず振り回されてましたけど。)

 

問題は、奥さんでした。優しいけれど、時々爆弾を放ってくる系の人で、

「bonさんが県外に出たら、お母さんかなしいよー。きっとー。」

「さみしいって言われないー?」

「bonさんなら正社員でいくらでもとってくれそうなのにねー。」

などとガンガン毒を振りまいてくる人間で。奥さんもうちの家族に比べたら全然毒なんてないんだけど、んまあー親づらしないでーってなっちゃいました。

社長さんは黙ってました(笑)。

 

 

なんか疲れちゃいました。

 

 

これからどうしようかと悩んでいます。

実はやりたい仕事があって、そこに近づくためにある会社を受けたんです。バイトですけど。

連絡が来ません。どうしようか悩んでます。

 

 

どこかでいい子思考が抜けてなくて、つらい。

さっさとお金ためて出ていけばいいのに、自分・・・。

 

 

◎おまけ

数年前から離人感に苛まれているわけですが、最近記憶にないことを機械に確実に記録されていて、「あー、解離だったらやばいなー」と危機感を抱いております。

解離性同一性障害とはいかないまでも、自分が寝ている最中に別の誰かが起きていたら・・・こんなに怖いことないっす・・・。

 

 

金が入ると使っちゃう。

先日、バイト中に大量の鼻血が出ました。bonです。

 

 

おととい、友人と2人で神奈川に行ってきました。

あじさいと大仏様を目的に行きまして、あじさいは激混みで、人に酔って具合悪くなったため、大仏様に移動。

大仏様もなんだか、人の気が多くて、具合悪くなっちゃいました。

 

もうご飯食べよう・・・この前食べられなかった生しらす丼食べよう!と江の島方面へ。

旅行ブックに載ってた一軒目のお店は事情によりお休みしていて、別のお店に電話して二軒目へー。

最高によかったです。

ほどよく昭和感が漂っていて、たまりませんでした。

湘南ビール飲んじゃいました。ぐっへ。

 

横浜に行きたいー夜景見たいーと駄々こねて、みなとみらい行ってきました。

観覧車が見えて来たら、友人大興奮。運転危険。

しかしわたしはアルコールが入っている。

必死に助手しましたよ。(笑)

 

友人が「ずっとここにいたい」とか言い出して、30分ほど観覧車のふもとにいました。←なにしてんだ

 

で、昨日はちょっと就職希望先に行ってきたんですが、やっぱりだめかもなあ…という気持ちが出てきてしまいました。

 

別のところを考えます。

 

今日もバイトだったんですけど、なんだか具合が悪くてお休みをいただきました。

 

肩こりと首こりがひどい。

いや、文字にできない気持ち悪さがどこから来てるのかわからないんですよね。

 

離人感がグッとなくなる瞬間があって、ベールがなくなると、

一気に世界の圧力を感じてしまうんです。

 

 

もう・・・本当にどうしたらいいんでしょうね・・・。

 

ちゃんとした記事書くとか言っといて、このザマです。

すみません。

 

 

ハロワにて。

昨日から、過食が続いています。

bonです。

 

今日の出来事を、ちゃちゃっと書いておきます。

 

大学で特定の授業を受けて、単位を取得すると、任用資格というものが与えられる場合があります。

わたしは、それを持っています。

しかし、その資格を活かしたいとは思っておらず、それに関連した仕事をしたいとも思いませんでした。

 

最近、仕事が見つからないというか、自分のなかできちんと消化できないことがありまして、でも仕事をしなければいけないと思い、資格を使おうと思いました。

 

その仕事が向いているのかわからなかったので、ハロワで相談をしにいったんです。

結果がすべてじゃないけど、適性検査受けてみれば?と言われ、適性検査を受けました。

道具は一切使わず、パソコンで質問に答える形式でした。

 

一位が芸術関連。二位が研究関連。

三位に社会的・慣習的が同率でした。

 

もうね、正直結果はわかりきっていたんですよ。

「自己表現」をしなければ、わたし生きていけないんですよ。

 

「いい子」でいる自分と、自分のやりたいことをする自分。

 

親に言えないんです。

こういうことをしたい、と。

 

 

 

と、下書きを書いたのが3日前です。

 

 

昨日は、頭を鈍器で殴られたかのような、衝撃的な事件が起こりまして、

NakamuraEmiさんの歌を車のなかで聞きながら、泣きました(またかい)。

 

はやく親に言わなくちゃ、と。

 

しかし、わたしは言えませんでした。

きっと一生言えないでしょうね。

否定されるのは当たり前。でも、きっと、もっとひどいことを言われる。

普通の家族なんだって、何度も何度も思おうとしました。

でも、無理なんです。普通の家族じゃないんだから。

 

3日前、ハロワでキャリアカウンセラーのおっさんと話をして、なぜか号泣して・・・

ふつうの若者は、自分が何をしたいのか、何が向いているのかを相談するのに、わたしは号泣して、夢と向き合うように説得されて、何をしているんだ・・・とハッとしました(笑)。

 

何を仕事にするにしても、いま、自己表現を超えるもしくは同等のやりがいを見いだせる仕事じゃないと、何も続かないよと。

今すぐ夢を追うのは無理かもしれない、でも、お金を貯めるという目標のためにモチベーションをあげられるのか?という問題が生じてきてます。

 

どちらにせよ、夢にしっかり向き合わないと、将来を決めることなんて無理なわけで。

新しい仕事を見つけるまでには、なんとか固めたいですね・・・。

 

今回は、自分語りになってるので、最後まで適当に書いてみます。

 

過食というか、むちゃ食いも止まらず、身体が辛すぎて、もう、身体がかわいそう・・・

瞼が腫れててひどいし・・・

でも、さっきまでフルグラとたこやきを買いに行こうとしてましたからね。

お金があると、だめですねー。

 

ふつうは、なんとか折り合いをつけるとか、大学生のうちにモラトリアム期間は終わらせておくべきなのに、いろいろ周りの人と比べて遅れてて、今更反抗期も来てるし、もう本当に自分がいやです。

 

こんなぷー太郎もいるんだよというお話でした。

次回は、もう少しきちんとした記事を書く・・・予定です。

では、また。

 

 

怒りのままに

こんにちわ、bonです。

 

突然ですが、家族の話をしようと思います。

わたしは毒親、毒家族に囲まれています。

(自分の親を、家族を、毒呼ばわりするなんて…と思っている方は毒に侵されている方か、本当に幸せな家庭で育った方か、毒を持っている本人でしょう。)

 

こんな家族になったのは、誰かひとりが悪いわけではないのに、絶対に誰か原因を作りたがるんです。自分が責任を負いたくないから。

 

わたしの隣の家に、20代後半の女性の方がいらっしゃいます。

その方は、コンビニでパートとして働いています。

その方に対してもいろいろ口を出します。

「あんな親だからそうなってんだろう。」と。

でも、わたしからしたら、

「どうでもよくねえ?」

あと、娘が準引きこもりになってる今、でっかいブーメランが刺さってんの気づかないのかなあ?

(わたし自身はひきこもりの意識はありません。お金がないから出かけないだけなので。バイトと友人と会う以外は家から出ないだけです。ほら、これって普通な気がしません?)

 

わたしは、親と何も話していません。

顔も合わせません。

 

「正社員教」に侵されている家族とおだやかに離れるには、正社員になってお金を貯めて家を出ることがベストなのだろうと思っています。(今は結果待ちです)

しかし、バイトをぽつぽつとして、たまにハロワに行くだけだと、

「あいつは働かないクズだ」

「やっぱり高卒で働いてたほうがいいんだよ」

なーんて声が聞こえてきますねえ、どこからかしら?

 

Q.「正社員教」を唱えるからには、全員正社員なんでしょう?

A.いいえ、現在、うちに正社員はいません。てへぺろ

 

それを正当化するために、「高卒で早く働いたほうがいい」「大きい会社入ったら、つぶれたときが大変だから」とか言ってます。

 

どこまでも自分たちを守りたいんでしょうね。

自分がかわいそうで仕方ないんでしょうね。

わたしには、ちいさい子が駄々をこねているようにしか見えない。

 

さっさとお金を貯めて、家を出ます。

インナーチャイルドが号泣するけど、もう大丈夫。自分でどうにかするから。

なんか何を言いたいのかわからなくなってしまいましたが、正社員教に埋もれて自分を失っちゃあだめだよってことですね。

 

 

 

 

続きは近況。

続きを読む

泣き出したインナーチャイルド

死にながら、生きていました。

どうも。bonです。絶賛腹痛中です。

 

先日は、イベント関連の仕事をしていました。

一日中、ヒールで立ちっぱなし。

足が痛くて、痛くて、たまりませんでした。

で、帰りに、駐車場まで歩いている間に、涙がとまりませんでした。

痛すぎて泣いたわけではありません。

 

 

ゴールデンウィーク前から、ずっと海に行きたくて。

その気持ちをどうにか押し殺していたら、品川で女子中学生二人が、手をつないで電車に飛び込んで。

彼女たちに歌を書いて。

 

この時点で気づくべきでした。

インナーチャイルドが泣きわめいていることを。

 

 

駐車場の車のなかで、大泣きしました。

おかあさん、おかあさん、

何度も、何度も、叫び泣きました。

おかあさんに、今、電話できたら、どれだけ楽になるだろう。

そんなことを考えていました。でも、現実的には、それはできない。

友達に電話をしたら、バイト先の近くにいることが判明しました。よかったら、泊まっていきなよ。落ち着いたら帰りなよ。と言われました。

でも、次の日に面接があったので、泣きながら、わたしのなかの子どもを抑え込みながら、帰りました。

 

自分でも、バカだなあと思います。

誰にも甘えられない。わたしは一体何のために生きているのだと。

 

おかあさんに電話すれば?

今からでも話をしてみたら?

 

きっと、母と良好な関係を築いている方々はそう思うでしょう。

しかし、過去の経験から、わたしの母は、決して「甘えさせてくれる」母ではないことは明らかで、自分が傷つくことが目に見えていました。

なので、電話しなかったのです。

 

わたしは、保育園のころ、一人で絵本を読んでいたそうです。

母曰く「手がかからなくてよかった。この子は天才だと思った」くらい。

でも、わたしは天才でもなんでもありませんでした。

ただの、「いい子」でした。

母に負担がかからないように、必死に生きていたのだと思います。

 

大学時代にも、父の仕事の関係で、わたしが行政機関に出向いて動くことが何度もありました。わたしは何も悪くないのに、母は、一切わたしを助けようとしませんでした。

あとから聞けば、「あの時助けたら、あんたがダメになると思った」そうです。

信じられませんでした。

父が非正規雇用で働いているから、ダメ会社に雇われているから、こんなことになっているのに。普通に働いている人は、こんなことしなくていいのに。どうしてこんなに娘に負担をさせるのか。

しかも、あの時期は、大学院に進学しようと考えていた時期でした。バイトがなく授業も早く終わる日に、行政機関をいくつも回っていました。

母は、わたしに何を求めていたのか、今でもよくわかりません。

 

 

おかあさん、と大泣きしてから、わかったことがあります。

今のわたしは、「オトナのふりをした子どもだ」と。

小さいころから、正義感が強い子だねと言われ、頭のいい娘を強要され。

きっと親は「あんたに勉強しろなんて言ったことない」と言うでしょう。

じゃあどうして、不登校になる前の成績がいい時代にも、親はわたしを褒めなかったのでしょう。

勉強しなくてもいいよと言わなかったのでしょう。

わたしのなかの小さな子どもが、何十年も泣き続けています。

 

本当は、あたたかくて、わたしだけを見てくれて、何をしても許されるような、

おかあさんに会いたい。

おかあさんに抱きしめてもらいたい。

 

でも、そんな母は、いません。

この世界にいません。

 

わたしの場合、わたしが会いたい母と、わたしを生んでくれた母はイコールにならないのです。

自分のなかで優しい母親を作り上げていかないと、自由な子どもは生きることができません。

 

自分を守るために、必死に生きています。